Prologue

1996年7月

蝉の声が響く、真夏の夜である。烏山の家である屋敷の取引が行われていた。

「ええ確かに受け取りました。烏山さん。」

そういって老人は契約書に判子を押した。
老人の名前は志郎。この手続きによって志郎はひとつの屋敷を手に入れた。

この屋敷は以前、神宮寺と言う名の一家が持っていたものであるが一つの事件をきっかけに無人の屋敷となった。

一家心中。

およそ60年前・・・
神宮寺夫妻が息子であるトドメ少年(十七才)を殺害して、その後その兄であるシトメ(二十一才)を刺すがシトメは致命傷にならず逃げ延び警察に通報した。
しかし、警察が動いたときにすでに両親は自害。乗用車を使用しての転落死。近隣の山中に車ごと転がり落ちていた。
シトメ少年は事件後、病院に運ばれるがその後の行方は不明。現在もその行方はわかっていない。そのため事件の原因などが一切不明である。


そこで烏山は屋敷が無人になるや否やすぐに買い取った。資産家である彼は自分の資産を形にしたに過ぎないが、正気の沙汰とは思えない。一家心中があった屋敷などに誰も住もうと思わない。ということは買い手など絶対に現れないということだ。
しかし、今から一週間程前に連絡が入った。
神崎志郎。この人からであった。彼からこの屋敷を買い取りたいと連絡が入り、一週間後の今、契約が行われた。

この屋敷を買い取った本人、烏山元助であるが当時は30過ぎであったが、今は90歳と言う高齢のため床に伏し、客人との対応は娘の京子が全てこなしている。娘と言うには少々違和感がある為に補足しておくと、京子はもう、40を過ぎていて、その上2人の子供が居る。旦那とは子供達が小さい頃に別れ、女手一つで育てた。

「にしても物好きですね神崎さん、あんな屋敷を買い取るなんて。」
本気で不思議そうな顔で話掛けて来る京子は麦茶を出しながら椅子に腰を掛けた。
「いやぁ、そんな事ありませんよ。中々いい所じゃないですか。」
「ええ、確かにこの辺りは静かで隠居生活には良いかも知れませんが。・・・・もしかして屋敷のことは詳しくご存知ないのですか?」

知っていると言えばまた変な顔をされると思われる、が嘘を言うには何となくはばかれるため志郎は正直に答えた。
「ええ、知っていますよ。でも昔の話じゃないですか・・。私はね、都会の喧騒に疲れたんですよ。静かな場所を探していた、そこでたまたま烏山さんのとこに良い物件が有った、それだけの話です。」

京子はその返答に俯いき、言いにくそうに。
「そうですか・・・・いえね。私が見たわけではないので何とも言えないのですが。近所の噂でねあの屋敷の窓に白いモヤのようなものを見たって話をチラホラ耳にするんですよ。」
申し訳なさそうな顔をして士郎の返答を待つ。士郎は返答に少々困っていた。折角結んだ契約をあちらから破棄されても困る、返答次第では十分に考えられる事態であるため慎重に行いたかった。そう思案していると。今居るリビングの奥から声が聞こえてきた。

「きょ・・・こ、いい・・じゃよ。彼は・・、し・・・さんは・・。ゴホッ。ゴホッ。し・・さ・、・の・・・・で、ゴホッ。」烏山の叔父の話は士郎には良く聞き取れなかった。京子は其れを理解しているようで。
「わかっていますよ、お父さん。大丈夫ですから、安静になさっていて下さい。」
「京子さん、彼はなんと?」
「いえ、別に大した事は言ってないのですけれどね、私に心配のし過ぎだって。」ちょっと引っかかる所もあったが、この屋敷が買えるならばそれに越したことは無いのでここでは特に何も言わずに進める。
「そうですよ、京子さん。そんな幽霊がどうこう何て大丈夫ですから。」そうですか?と京子はやはり心配そうに返してきた。
「では、私はそろそろお暇させていただきます。」
そういって志郎は、テレビから流れるアトランタオリンピックの音を耳に残しながら烏山の家を出た。

客人の帰った音を聞きつけたのか2階から足音をさせて2人の子供が出てきた。
「お母さん、お客さん帰ったの?」彼女はこの家に住む京子の娘の由真である。寝る準備をしていたのか、薄い黄色のパジャマ姿である。髪は長く黒のストレートをしている。
「テレビが見たぁいよ。」と変な言葉を喋るのが由真の弟の由一である。姉は今年で15歳になり、弟は11歳である。4つしか変わらない為、姉弟は仲がとても良く一緒に行動することが多かった。
「アラ、まだ起きてたのアンタ達。もう遅いから寝なさい。夏休みだからって夜更かししたらだめよ。」母のお決まりの台詞がでる。
「いいじゃん、いいじゃん。テレビが見たーい。」ごねる由一、「いいじゃない、片付け手伝うからさ。」母をなだめる由真。
「まったく、しょうがないわね。10時には寝なさいよ。」
そう言い残し由真と京子は台所へ向かった。
「お母さん、あの屋敷売れたの?」「ええ、売れたわよ。」
ふぅん、興味無さそうな反応の由真であるが母も疑問であった。
「どうしてアンタがそんなこと気にするのよ。」
「いやぁ、別に・・・物好きも居るんだなってね。だってこの辺コンビニも何も無いじゃない?よく買ったなって思ってさ。」
「アンタとは違うのよ、静かに暮らしたいんだそうよ。」

現在夜の9時過ぎである。



士郎は屋敷を見に来ていた。夏と言えどこの時間になると夜も深くなり涼しい。周りは雑草に埋め尽くされ。周囲を森に囲まれた屋敷は深淵とも言える闇を持っていた。完全な闇ではなく木々の間から差し込まれる月の明かりが幻想的な空間を作っていた。すこし風があり、木々を揺らすことにより、明かりが小刻みに動いている。その明かりに当てられた屋敷は不穏な空気を持ち揺れているようにも見えた。
「====ま。」士郎は何か言うが木々の音に消された。




TOPへ inserted by FC2 system